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十勝太遺跡群

所在

十勝郡浦幌町字十勝太

アクセス

国道38号共栄交差点から道道直別共栄線厚内に8.5キロメートル十勝太集落へ、その高台一面。または、浦幌市街から11キロメートル十勝太集落へ、その高台一面。

概要

 浦幌町十勝太にある遺跡の総称。総数500基以上の住居跡からなり、うち十勝太河岸段丘遺跡に約240基とほぼ半数を占め、そのほとんどは擦文時代のものと推定される。
 1965(昭和40)年、十勝太河岸段丘遺跡、1972年、十勝太古川遺跡、同年~1974年、十勝太若月遺跡を発掘調査。十勝太古川遺跡では、13基の住居跡を発掘し、第8号竪穴のピット内から鍛冶のときに風を送り出すフイゴの羽口の先端折損部と鉄滓が発見され、鍛冶遺構と考えられている。
 また、第10号竪穴脇から、マキリも出土した。第8号竪穴の外から、オホーツク式土器と擦文土器の融合したトビニタイ土器が出土。器形は口縁部と胴部は擦文式的、底部はオホーツク式土器的で、文様は貼付式浮文を10条横位にめぐらしたオホーツク式土器的なものである。
 また、糸を紡ぐときに使われるはずみ車である紡錘車も出土。1976年5月21日、1ヶ所のチャシ跡、十勝太河岸段丘遺跡を含む10万6000平方メートルが北海道遺跡に指定された。出土品は浦幌町立博物館に所蔵されている。

(注)チャシとは一般に「砦」の文字をあてているが、もとは「柵」とか「柵囲い」を意味し、その遺跡は、河川・海・湖沼を臨み、丘陵や段丘などの端や頂部、あるいは先端部を利用して築造しています。形状は方形、半円状の壕や土壇造りが認められ、ほぼ全道に分布しているが、特に十勝・釧路・根室の道東部に多くかたよっている。最近の調査・研究では16世紀から18世紀に構築されたと考えられます。
機能性格としては「砦」としての防塞的なものより、むしろ壕によって区画された信仰的な施設、祭りの場・談合の場としての機能を果たしていたものに起源し、やがて城塞的な施設のチャシに転化し、その種のものが造営されるようになって「見張り台」などにも使用されるようになったと考えられています。

お問い合わせ先

浦幌町立博物館
〒089-5614 北海道十勝郡浦幌町字桜町16番地1
電話:015-576-2009 FAX:015-576-2452
E-mail:museum@urahoro.jp

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