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オタフンベチャシ跡

所在

十勝郡浦幌町字直別

アクセス

国道38号直別から道道直別共栄線厚内方面に3.5キロメートル太平洋に出たところ。または、厚内から道道直別共栄線直別方面に3キロメートル太平洋沿いから山側に入るところ

概要

 浦幌町字直別に所在するアイヌ期の遺跡。オタ・フンベはアイヌ語で砂・クジラの意。十勝と釧路の支庁界近く、白糠丘陵が細長く馬の背状に伸びる太平洋沿岸の半独立丘陵上にある。お供山型の典型的なチャシで、壕で囲まれた平坦面は21メートル×7メートル。頂上の標高は約27メートル。チャシの存在は古い記録などにも見られ、次のような伝承も採集されている。昔、厚岸アイヌが白糠アイヌを攻めたとき、白糠軍はチャシを死守した。厚岸軍は攻めきれず、夜中に砂で鯨の形を作り、その陰に兵を伏せさせた。夜明けに白糠軍が「寄りクジラ」と近寄ったところを不意討ちした。白糠の長の睾丸にも敵の矢が当たったのでそこをオプショマイナイ(睾丸を破られた沢)といい、小川を跳び越えたときちぎれ死んでしまったところをノコマナイ(睾丸の落ちた川)という。さらに小川に真っ赤な水が流れていたのでフレベッ(赤い川)といった。厚岸軍が船に乗ってこぎ出そうとしたとき、墓から幾万とも知れぬハチの大群が飛び出し、大部分の者は刺し殺されてしまったという。1981年、国の史跡に指定された。

(注)チャシとは一般に「砦」の文字をあてているが、もとは「柵」とか「柵囲い」を意味し、その遺跡は、河川・海・湖沼を臨み、丘陵や段丘などの端や頂部、あるいは先端部を利用して築造しています。形状は方形、半円状の壕や土壇造りが認められ、ほぼ全道に分布しているが、特に十勝・釧路・根室の道東部に多くかたよっている。最近の調査・研究では16世紀から18世紀に構築されたと考えられています。
機能性格としては「砦」としての防塞的なものより、むしろ壕によって区画された信仰的な施設、祭りの場・談合の場としての機能を果たしていたものに起源し、やがて城塞的な施設のチャシに転化し、その種のものが造営されるようになって「見張り台」などにも使用されるようになったと考えられています。

お問い合わせ先

浦幌町立博物館
〒089-5614 北海道十勝郡浦幌町字桜町16番地1
電話:015-576-2009 FAX:015-576-2452
E-mail:museum@urahoro.jp

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